4章1正しく教えることは学ぶこと その1

Right Teaching and Right Learning 1

学ぶこととは思考体系を変化させること。しかし、人はその変化を嫌う。変化は分離を思い出させる。神の国から分離したという思いこそ、最初に経験した変化だったからだとキリストは語る。

変化することが分離を癒すことにつながるとは思いも及ばないのだ。
あなたは自分の自我にどんな変化も入り込まないようにしさえすれば、平安を見いだせると信じている。

確固たる自分とか、自分を確立するとか、考えを堅持するとか、そういう言葉の中に、変化を受け入れないで生きると安定する、というニュアンスが確かにあるように思います。しかし、自分の思考体系を変化させて、この世をまったく別な見方ができるようになることこそ、私たちの癒しにつながるとキリストは語っています。

自我(エゴ)というのは、普段「私」と自分をさして言うときの意識(のほとんど)です。そして、キリストのいう霊(スピリット)というのは、悟りの状態、仏教などでいう真我だと私は捉えています。

霊と自我は根本的に両立しないものだ、霊は知覚できないし、自我は知ることはできないのだから。したがって霊と自我は意思の疎通をしていないし、決して意思の疎通をすることはない。

私は真我を体験したことがあります。そのとき自我はどうなっていったかというと、(意識の中では)足首くらいまで小さくなっていきました。真我も自分であると意識できるのですが、身体を越えてとても大きな存在でした。真我は全てを知っているのですが、その時、自我の存在は消えていました。「意思の疎通をすることはない」と言われるのはその通りだと思います。これは瞑想中ではなく、ただバスを待っている間の出来事です。すべての人に起き得ることだと思います。

私(キリスト)は決してあなたの自我を攻撃しないし、ただその思考体系がどのようにして出来てきたのかを教えようとしている。

間違っているものを否定するのではなく、真理を守ることをしなさいと、前にキリストは話されていました。否定することは、それに力を与えることになると。この態度は日常でも使えますね。

私たちがどんなふうに間違ってこの世界を捉えているのか、その誤りを正すことをキリストは教えようとしてくれています。
その上で、神のもとへあなたを導くつもりだ。

教えることと学ぶことは今のところあなたの最大の強みだ、自分の心を変えることができるようになるし、ほかの者たちが心を変える手助けもできるようになるのだから。

So be it.