4章自我の錯覚

THE ILLUSIONS OF THE EGO

いつのまにか4章にはいってきました。今日は序論のみにします。
ここからは抽象的でも少しわかりやすくなっていきます。語り口調になって、繰り返し教えてくれています。

兄弟に献身することが、あなたの進歩をさまたげるようなこともあり得ない。ただお互いが前進するのに役立つだけである。

疲労感を感じるのは気力をくじかれているということ、それに対して
やる気になるとはスピリットの内にあるということ。

あなたはスピリットとして話すか自我として話すか、自分で選ぶことができる。

あの十字架にむかう旅路こそ、最後の「無益な旅」になるべきである。・・・

この物質世界において、本当の自分は自我でも身体でもなく、スピリットだけだと認めることは、キリストの復活に加わることになると。
それまでは、実に、あなたは人生を無駄に生きていることになる、と言われています。輪廻転生を繰り返すその輪から出ることを始めなければ、生きている意味がないということなんでしょう。厳しい言葉ですが、真理なので、イエス・キリストにすれば、なんのためらいもないのでしょうね。

この繰り返しは自発的に放棄しない限りいつまでも続くことだろう。・・・キリストのはりつけが伝えようとすることはただ一つ、
あなたは十字架のような受難さえ乗り越えられるということである。

So be it.