3章7創造されたもの対自己の想像

Creating versus the Self-Image

私たち人間は、自分の心の創造する力を誤って使っています。
うそ偽りに基礎をおいた思考体系という表現をキリストはしていますが、
つまりは間違ったまま現実を作りだして、その牢獄から抜け出せなくなっているのです。

信じていることはみな、それを信じる者にとっては本当である。

話は私たちが神の国、ONENESS から分離するきっかけとなった、あの木とヘビ(悪魔)の話が出て来ます。象徴としてのエデンの園において、「禁断の木」とは「知識の木」であり、それは食べることができたのだから、禁じられていたのではないとキリストは語っています。

知識の木になっている実を食べるというのは象徴的な表現であり、
自己創造するための能力を不当に使っていることを意味する。

心は、分離しているという真に迫ったきわめて恐ろしいものにできるのであり、
このような信念こそ「悪魔」というものである。

私たちは誤って、自分たちの想像力でこの物質世界を作り出しました。私たちの信念のパワーは神と同じくらいに強いので、ここが実存ではないということを認めることができません。自分で作り出した世界を本物だと信じてしまっているのです。そして、自分がすべてをもっていることを忘れて、世界中のものを欲しがっています。勝者や敗者がいると信じ、貧富があると信じ、病気がある、死があると信じ、さまざま恐怖があると信じています。この考えが悪魔なのです。愛と喜びと光の世界、完全な調和の中に生きることができる、そのために、今あるこの恐れに満ちた世界から、目を覚ましなさいと言われているのです。どうしてできないことがあるでしょう。できるはずです。

あれ以来、多くのことが目にうつったが、実際には何も起こってはいないのである。たとえあなたの心には葛藤があるとしても、あなたの本来の自己は今なお平安のうちにとどまっている。

あれ以来とは分離して以来ということですが、私たちは輪廻転生し、どれだけの悲しみや苦しみを見てきたことでしょう。でもそれもただの夢。目覚めれば光と平安と喜びがあるだけです。

生と死、光と闇、知識と知覚はどれも両立しないのである。

この世を死によって去るのではなく、真理によって去るのであり、すべてのものが真理を知ることができるし、神の国はその人たちのために創造されており、みんなを待ち受けているのである。

So be it.