3章2奇跡とは本当に知覚すること

Miracles as True Perception

光と闇、または、あらゆるものと実存しないものとが両立できるとして、心に描こうとしても不可能である。それは全部が真実であるか、それとも全部が間違っているか、そのどちらかになる。

ACIMで語っているキリストの言葉を、一部だけ真実だと取り入れることはできないということです。『心(思考、意識)がこの現実を作る』というのはキリストの言葉ですが、そこだけを取り入れてこの社会で成功しても意味はありません。自分に都合のいいところだけ、ちょっとずつというわけにはいかないのです。もちろん、それでいいという方もあるとは思いますが、かりそめの成功は、どこまでもかりそめです。永遠の喜びとは比べようもありません。
この幻想の世界で生きるのか、それともすべてがある実存の世界を選ぶか、と問われているのです。中途半端な立ち位置はないということです。

もし真理以外には何も存在しないのであれば、心の正しい状態でみたなら完全であるものしか見ることはできない。

あなたが神の意思に対して恐れを抱いているのは、神がご自分に似せて創造なさった自分の心を、誤って創造することに使ってしまったからである。心が自由でないと信じ込んでしまったときのみ、それは誤って創造することがある。

日常で私たちは、さまざまなことに怖れたり、不安になったり、怒りを感じたりします。それはその時はもっともな理由があるように思えます。しかし究極的な原因は、私たちがONENESSの状態、神の国から離れ、自分たちで勝手に作りだしたこの世にいることにあります。

私は自分に潜在的な罪の意識がある、などと考えたこともありませんでした。自分なりに裏表なく生きてきたと思っていたからです。しかし、このACIMを読んで、確かなものなど何もない世界で、どれだけ自分が頼りない存在であるのか、どれだけ不安で、不安定な存在なのかということに気づきました。
そして、幼い頃に考えていたことを思い出しました。この世で今、不幸だと思っている自分は、何か悪いことをしたのだろうか?と小さな私は首をかしげていたのです。

『自分が悪い』という思い。もしかすると、根源的なところでみんながもっているのではないでしょうか?

歪みを正す方法は、そんな歪んだものを信じるのをやめて、そのかわりに真実であるものだけを信じるようにすることである。