2章5奇跡を行う者の役目 その3

The Function of the Miracle Worker

引き続き、奇跡を行う者の役目 です。

繰り返しになっている部分などを除いて、いくつか文章をとりあげてみますが、実際はテキストではもっとていねいに語られています。また、この後の章で、さらに詳しく語られていきます。

奇跡を行う気持ちの現れが奇跡であり、奇跡を行う気持ちがあるとは心が正しい状態にあることを意味する。・・・奇跡の目的はその人を自分の正しい心へ戻すことである。

ただ、奇跡を行いたいという気持ちをもつだけでも正しい心の状態にある。誰かを癒したいと思う気持ちが、すでに心の正しい状態にあるということでしょう。

自分自身の準備ができていることをあてにして癒す者は、自分の理解力をあやうくしていることになる。自分の準備ができているかどうかを全然気にしないで、ただ私(キリスト)の準備ができていることを絶えず信頼し続ける限り絶対に大丈夫である。

これは癒しを自分でやろうとしないで、キリストにゆだねなさいということです。
自立するとか、自分でできるようになることが良いこと、という、一般の価値観と大きく違います。これでいいのかなぁ、依存じゃないのって思いますよね。確かに依存です。どうしてそれが正しいのかは、おいおいわかってきます。もし、ここで抵抗する自分がいてもOKと思いましょう。私は自分以外の力を頼るのはズルをするような気がしていたのですが、今はそうではなくなりました。今は、自分の力などないと思うのです。

奇跡を行う者がただひとつ責任をもつべきことは、自分が贖罪(誤りを正すこと)を受け入れるということである。

誤って作ったものが人々を傷つけることはできないという真理。

ここでは誤って作ったものというのは、身体を表しています。(が、物質世界はすべて私たちの心が誤って作り出したものです)

この真理を、肯定することで、あなたは学びの手だて(身体)を過大評価することから解放され、心を学ぶものとしての真の立場に戻すのである。

心だけが光明を受け取ることができる。・・・・身体は、身体を超えて光を見つめることを学んだ心とたやすく同調させられるのである。

ひとつの段落で語られている内容は、とてつもなく大きなものを含んでいます。ただ、文章として意味がわかるという以上のものです。そこで目には見えない何かを受け取っているからです。それは自分の信じていることを書き換える作業が、心の中で行われているということなのかもしれません。

自分を癒し、人を癒すときにこう考えると役に立ちますと語られている言葉を入れておきます。

私はただ本当に役立つ為に、ここにいる。
自分を遣わされた御方の代わりに、ここにいる。
何を言い、何をしようかと心配する必要はない、
私を遣わされた御方が指導してくださるはずだから。
どこであれ、あの御方が望まれるところで満足する、
一緒に行ってくださると分かっているのだから。
癒すことを教えてくださるのに任せれば、自分も癒される。