1章4暗闇からの脱出

暗闇から出るには、二つの段階を必要とする。第一に隠すことはできないと認めること、普通これには恐れが必然的にともなう。第二に隠したいと思うものは、何もないと認めること。

隠しておきたいことがある。それは、私たちが錯覚の世界で生きていること。この世界は実在していると思いたい。ONENESS、霊的な存在である真実の自分を、自分から隠しておきたい。

その実在性を確かなものにしようとして、途方もないほど努力をするのである。

だから私たちには暗闇がある。自分で自分をあざむき、錯覚の虜になっている。そして、わけもわからず罪の意識をもっている。

私たちのいる世界ではいつも、何かが足りないと感じている。そのために何かを探したり、作りだしたり、買い求めたり・・・。でも、常に何かが欠けている。

暗闇とは光が欠如していること、それと同様に罪とは愛が欠如していること。

恐れのために生じた空しさを、許しと取り替えなければならない。

私たちが自分の実在の姿に気がつけば、恐れもなく、死もありません。キリストは復活をしてみせることで、自分は身体ではなく、霊的な存在である、したがって「死はない」(聖書にある言葉)ことを実証してみせたのでした。

私たちは自分を許し、隠していることに光をあて、ありとあらゆるものを創造主から与えられた、満たされた存在であること、それが自分であることに同意し、恵まれていないと信じるのをやめるように求められているのです。

私にとって、このあたりの文章はわかりにくいです。ここだけ読むと、違う角度から語りたいために、話が先へ飛んで行くような感じです。でも、きっと語っているキリストの中ではすべてはつながっているのでしょう。後に、もっと詳しく説明してくれますので、今はわからないところがあってもOKという気持ちで読み進みましょう。