22章2 聖なる関係が教えること

The Message of the Holy Relationship

コースをここまで学んでくると、自分が攻撃している相手は自分であるということも
わかってきます。自分だと思っているこの私は、自分ではないということも理解しています。
頭脳は考える機能がありますが、洞察力はそれを超えていることも知っています。

そして、秘密や罪があると考えるなら、それは訂正できることもわかっています。
秘密も罪もありません。それはただの間違いなのですから。
それを取り返しのつかないことにしないように、と奇跡のコースでは教えています。

Let not your fear of sin protect it from correction, for the attraction of guilt is only fear.
罪を恐れてそんな間違いを訂正せずに、そのままにさせないこと、
罪責感に引きつけられるのは単なる恐怖心であるから。
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This is the one emotion that opposes love,
and always leads to sight of differences and loss of sameness.
この感情こそが愛を妨害し、いつも相違点を見たり、
同一の状態を失った様子を見たりするようにさせる。

私たちの認識はまだ赤ちゃんはんのようなものだとここでは言っています。
そうだとしても、赤ちゃんは成長し続けることができるのです。
そして、聖なる一瞬に目覚めたなら、そこには時間はないのですから、
成長の時間もなく、ただそこにそのままずっとあたった自分に気づくだけです。
道は示されています。自分も人も許すこと。怖れをみないこと。信頼すること。

Think what that instant brought; the recognition
that the "something else" you thought was you is an illusion.
その一瞬なにが起きたのか、考えてみるがいい、
そのときあなたは自分のことだと思っていた「他の何か」は錯覚だと気づいたのである。
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And here can he return in confidence,
for faith in one another is always faith in him.
だからここへはキリストが確信を持って戻ってこられるわけだ、
ほかのだれかを信頼するとは常にキリストを信頼することであるから。

You are indeed correct in looking on each other as his chosen home,
for here you will with him and with his Father.
あなたが自分のきょうだいをキリストの選ばれた安らぎの場と見なしたことは実に正解だ、なぜならここであなたはキリストと御父と同じことを意図するからである。

So be it