21章8 内面的な変化

The Inner Shift

私たちのこの現実では、永遠に続く幸せや喜びというものはありません。
初めて手にしたときには輝いていたものも、いつしか色あせてしまいます。
しかし、実在の世界にあるのもは、永遠に喜びの波動で打震え、幸せが続きます。
その波動は今も私たちの内にあるのですが、私たちは隔離された世界だけを見ているので、
あることがわからないまま生きています。

The constancy of joy is a condition quite alien to your understanding.
絶え間なく喜びをいだきつづけるということは、あなたの理解しているのとは、
きわめてかけ離れた状況だといえる。

Yet if you could even imagine what it must be,
you would desire it although you understand it not.
だが、もしそれがどんなものか想像できさえすれば、
たとえ理解できなくてもそれを切望することだろう。
・・・
It comes as surely unto those who see the final question is necessary to the rest,
as peace must come to those who choose to heal and not to judge.
不変なるしあわせは、最後の質問が残りの質問に必要だとわかる者には必ず来るし、
それは裁くことではなくて癒すことを選ぶ者は、
かならず心の平安を得られるというのと同じである。

私たちの内にすでにあるのですから、真に願えばそれは叶うのですが、
それが現実になっていないのなら、私たちはまだ本当に願っていないのです。

For he does not desire it while he remains uncertain,
and God's giving must be incomplete unless it is received.
確信が無いうちは、切望してもいないのだし、神が何を与えようとなさっても
受け取ってもらえなければ、完全に与えたことにはならないのである。
・・・
What is the holy instant but God's appeal to you to recognize
what he has given you?
聖なる一瞬とは、神があなたに授けられたものを、
あなたに気づいてほしいと訴えておらえる瞬間にほかならない。

So be it