21章6 理性対狂気

Reason versus Madness

21章5で、理性( reason)という言葉が出てきました。
これは、道理、正気というふうにも訳せます。
間違った知覚から判断し、肉体を自分であると教えるのが
自我( Madness 狂気)であるとすれば、聖霊の声を素直に聞き入れ、
実在を取り戻したいと願う自分、それを理性( Reason) と名付けています。

Reason does not attack, but takes the place of madness quietly,
replacing madness if it be the choice of the insane to listen to it.
理性は攻撃などせずに、ただ正気を逸したものが理性に耳を傾けることを選ぶなら、
穏やかに狂気に取って代わる。

Nor could you see it, if you heard the voice of reason.
もし理性の声が聞こえたら、からだは見えない。

What can there be that stands between what is continuous?
いったい何が、少しも切れ目のないものの間に入り込めるというのだろう。
・・・
That you are joined to him is but a fact, not an interpretation.
あなたがその人と一つに結ばれているということは、単なる事実であって、
解釈上のことではない。

私たちがワンネスであるというのは、解釈上のことではなくて、
単なる事実であるというのは面白ですね。
超微細なレベルで見れば私たちはすべてつながっているわけで、
その境界線など存在しません。目の前の机やパソコン、観葉植物、壁、窓、
空気、すべてとつながって存在しているのですから。
それは解釈ではなく、厳然たる事実であるということです。

Neither your brother nor yourself can be attacked alone.
あなたのきょうだいとあなた自身、
二人のうちの一人だけが攻撃されるということは有り得ない。

So be it