21章3 信頼と信念と洞察

Faith, Belief and Vision

Faith and belief and vision are the means by which the goal of holiness is reached.
信頼し、信念をいだき、洞察力で見るという方法によって、
神聖なるものを自分のものにするという目標に達せる。

聖霊を信頼し、その訂正を受け入れる。そうすることで自分自身も、
また周囲に与える影響も変えていくことができます。
信頼という力は大きいので、間違った選択をして、
罪を本当のこととしないようにと奇跡のコースでは教えています。
信頼をどこに置くのかが大切であるということです。

For faith and vision and belief are meaningful only before the state of certainty is reached.
信頼や洞察や信念というものは、ただ確信をもてる状態に達するまで有意義なだけであるから。

実在にあれば、信頼することは必要ありません。常に確信をもって在るからです。
しかし、実在を忘れてしまったとき、信頼とか信念という考えが生まれたのです。
ですから、実在に戻れば、信頼、信念、洞察の3つは必要なくなると教えています。
知覚に替えて、洞察力で見始め、人の中にある神聖さを信頼する。このように生き始めると、
目覚めへの道を歩いているということです。

ここで、犠牲的行為について触れている部分がありますので引用しておきます。

Your faith in sacrifice has given it great power in your sight;
except you do not realize you cannot see because of it.
あなたが犠牲行為を信頼していることで、それに大きな力を与えているように
自分の目には映っているとしても、あなたはかえってそのために本当に見ることが
できなくなっているとは悟っていない。
・・・
And so is sacrifice invariably a means for limitation, and thus for hate.
そのうえ犠牲を払っているのだからという思いで、必ず相手を制限しようとし、
延いては憎しみを抱くようになるのである。

人間関係において、お互いを制限したり、犠牲になるといったことは、
決して幸せになれない関係です。
犠牲になることを聖なることと勘違いしないことが必要ですね。

So be it