20章6 聖霊の宮

The Temple of the Holy Spirit

奇跡のコースでは、私たちが見ている世界は実在の世界ではないと教えています。
この世は夢であるとか幻想であるとも言われます。

それは、世界を歪んだ知覚で見ることで起きています。
これが正しい、これが正義、これが普通、これが常識、これが愛・・・と
自分が間違って受け入れてしまった枠を通して世界を見ています。
いまある間違った思い込みを訂正することが求められています。

間違った思い込みのひとつに、自分は身体であるということがあります。
私たちは普通、私というときにこの身体をさしています。
しかし、身体はただの乗り物です。しかも、この乗り物の中にいるわけではありません。
私たちの実在は意識であり、エネルギーです。
こうした様々な思い違いを訂正していくのが、この奇跡のコースの学びなのです。

ここでは、聖霊の宮がテーマです。
宮というと身体をイメージするのですが、聖霊の宮はもちろん身体ではありません。

The Holy Spirit's temple is not a body, but a relationship.
聖霊の宮とは、からだではなくて、人と人との関係を意味する。

The body is the ego's idol;
the belief in sin made flesh and then projected outward.
からだというものは自我の偶像であり、
罪を信ずる心が肉体として具現し、外にむけて投影されたものだ。

This produces what seems to be a wall of flesh around the mind,
keeping it prisoner in a tiny spot of space and time, beholden unto death,
and given but an instant in which to sigh and grieve and die in honor of its master.
これが心のまわりに肉体の壁のように見えるものを生みだし、
それは小さな空間と時間の一点に囚人として留められ、死に恩義をうけて、
その支配者を敬い、ただの一瞬、ため息をつき悲しむ時を与えられては死んで行く。
・・・
Here it is given him to choose to spend this instant paying tribute to the body,
or let himself be given freedom from it.
ここで、その一瞬をからだに謝意を表すために費やすか、
からだから開放してもらうために過ごすか自分で選べる。

身体への偶像崇拝ではなく、愛を選びなさいと教えています。

So be it