19章12 第四の障害 ‐ 神にたいする恐れ

The Lifting of the Veil

読んでいて、とても幸せな気持ちになる節です。
ぜひ、ご自分で全文を読まれることをお勧めします。

No one can look upon the fear of God unterrified,
unless he has accepted the Atonement and learned illusions are not real.
だれひとり、神にたいする恐れというものを、恐怖心を抱かずに見てみることはできない、
ただし、もしその人が贖罪を受け入れて錯覚は本当ではないと分かっていれば、話は別だ。

奇跡のコースでは、自分を許し、きょうだいも許すことで、覚醒への道を歩けると教えています。
人の中にもまったく罪をみなくなること、それが求められているのです。
日々、人間関係の中で学べるということです。
それは、人に態度や言葉で表すことだけではなく、心で思うこと、思考も含まれています。
『自分のきょうだいを申し分のない信頼と愛と優しさで見つめるようになる』ことが
求められているのです。

You are afraid of God because you fear your brother.
あなたが神を怖がるのは、自分のきょうだいを恐れているからだ。

Those you do not forgive you fear.
あなたは自分の許せない相手を、恐れている。
・・・
Here is the holy place of resurrection, to which we come again;
to which we will return until redemption is accomplished and received.
あなたのきょうだいが自ら犯したと思い込んでいる罪を許し、
あなたがその人のうちにあると思っている罪責感もすべて許すことである。
・・・
Everyone gives as he receives,
but he must choose what it will be that he receives.
だれもみな自分が受け取るように与えるわけだが、
自分は何を受け取るつもりなのか選ばなければならない。

And he will recognize his choice by what he gives, and what is given him.
そして自分が何を選択したのか、それは自分が何を与え、
また何を与えられるかで分るだろう。

Nor is it given anything in hell or Heaven to interfere with his decision.
選んだものが地獄の何かであれ、天国であれ、その人の決めたことを邪魔するものはなにもない。

奇跡のコースでは、同じテーマが何度も語られます。
まるで、らせん階段をのぼっていくように。
でも、その繰り返しを聞くのはとても心地よいことです。
繰り返し、繰り返し、自分の中に染み込ませていくのでしょう。
本当に、完全にきょうだいを許し、自分を許せるまで。
そして、この旅路になんの意味もなくなるまで。

So be it