罪悪感とは何か

奇跡のコースのお話会を開催していますが、前回、罪悪感が自分の中にあるのか
よくわからない、という話がありました。
私もACIMを読み始めた頃は、いったい何のことを言っているのだろうか? 
と不思議に思いました。どんなことをしたら罪悪感を感じるのだろうと、
思い当たるところがなかったのです。

しかし、読み進むうちに何を言っているのかわかるようになりました。

先日、シルバーウィークの爽やかな一日の夕方、商業ビルの洗面所で小学生の女の子が
何度も手を洗っているのを見ました。勢いよく流れる水が、手のひらに心地よかったのでしょう。私が見ていると、その子は、あっと気づいてやめました。叱られると思ったのかもしれません。「冷たくて気持ちいいね」と私も手を洗うと、こっくり頷いてちょっとほっとしたように見えました。

水は大切にしよう、みたいな標語が学校にあるのかもしれません。
あるいは家庭で、水を無駄遣いしないように、と言われているのかもしれません。
とにかく、自分が気持ちいいなぁと感じているときでも、他人の視線を感じたとたんに、
いけないことをしているという気持ちが浮かんできたのです。

些細なことですが、これも罪悪感の現れです。
人がどう見るのか、自分はどうすべきか、私たちはいつも自分で自分を裁いています。
自分の価値観、感覚ではなく、外側の基準に照らしてみる癖がついています。
根源にあるのは、分離していると信じている罪悪感です。
分離しているとは、あなたと私は違うという意識です。境界線をもっているということです。
みんなとひとつで、つながっている。誰も自分を責めたりしない。そう信頼することが
できれば、社会で怖れを感じながら生きることはなくなります。

罪悪感は幻想です。誰も責めてはいないのです。
神の国を去ったアダムとイブは、心の底から怖れおののいているかもしれませんが
神は責めるということを知りません。早く帰って来なさいとしか言いません。だから、
自分を裁くのを止めなさい、怖れを手放しなさいと奇跡のコースでは教えているのです。