16章1 真の感情移入

True Empathy

人間関係で、誰かの気持ちになってみる、どんな気持ちなのか察することはよくあります。
人の気持ちになって悲しみや苦しみを理解しようとする。
私たちにとっては当たり前のようにやっていることです。
しかし、奇跡のコースでは違うことを教えています。

聖霊は苦しみというものを理解しないし、
あなたにもそれは理解し難いものだと教えさせるつもりだ。
苦痛を一緒に味わおうともしない、そうした苦痛に入り込めると妄想し、
そんな妄想を分かち合うことで苦痛を和らげようとしても、
それを癒すことはできないとよく分っているのだから。

自我は理解できると思えるものに一体感をもち、そこに自我そのものを見、
自らに似ているものを分かち合うことで大きくなろうとする。

感情的に共感し、お互いを理解し合う、ということを私たちはしますが、
そんなことで苦痛をやわらげることはできないし、
それは相手も自分も弱めることになるだけだと教えています。
弱っているところに感情移入しても、互いのためにならないと教えています。

自我は理解できると思えるものに一体感をもち、そこに自我そのものを見、
自らに似ているものを分かち合うことで大きくなろうとする。

類は友を呼ぶということわざがありますが、
確かに似たところがある人と友人になりやすいですね。
そうして互いの自我がこれでいいんだと、大きくなるというわけです。

自我はいつも相手を弱めるために感情移入するのであって、
弱めるために必ず攻撃する。
どんな関係にせよ、その中に弱さを見つけて、そこに愛を見いだそうと望むなら、
愛の意義というものは失われる。

感情移入をして癒そうとしたり、救おうとする私たち(自我)の試みは、
役には立たないようです。一見すると攻撃にみえないようなことも、
実は自分も相手も弱めている。私たちにできることは、謙虚になり、
精霊に託すようにと言われています。感情は来ては去るもの、
そこでつながっているように見えてもそれは幻想なのでしょう。
自我は相手の感情を利用しようとします。
そこで一歩引いて、精霊に任せることが求められているのです。

聖霊の役目は聖霊に任せておけばいい、
ただあなたが自分の色々な関係に入ってきてほしいと頼みさえすれば、
ちゃんと役目を果たしてくれるし、
あなたのためにそうした関係を祝福してくれるのであるから。

So be it