4章7創造と意思の疎通 その1

Creation and Communication その1

ここはとても短いのですが、内容的にはたくさんのことが語られています。ですので、2回に分けて紹介します。まずは、自我のコミュニケーションと、実在の自分のコミュニケーションの違いです。

自我は、分離していることを確立させるためにコミュニケーションを利用する。

つまり、あなたと私がいかに違うのか、ということをはっきりとさせるためにコミュニケーションをするのが、自我のやり方というわけです。
自我は、一般論を話すことがあったとしても、それは特定の、何か関連するものごとの中である一般論であって、抽象的なことを語ることはできないとキリストは話しています。たしかに、日頃、私たちの日常会話や新聞やネットで目にする一般論は、限られた世界での一般論であると思います。

それと対照的に、神と神が創られた者(実在の私たち)の間のコミュニケーションは、完全に抽象的で、伝えようとすることは普遍的であり、判断をくだされたり、例外とみなされたり、部分的に変更されることはない。

私たちは本来このようにコミュニケーションをするように創られているし、その能力を今ももち続けています。ときにそれを啓示として受け取ることができます。

存在することと実在することは、ともにコミュニケーションに基づいている。存在するには、特定のやり方でどのように、何について、誰と意思の疎通をするかどうかを判断する。実在するにはこのような区別は全てない。心が実在的なもの全てとコミュニケーションを行っている状態そのものであるといえる。

私たちの実在する世界では、なんの制限もなしに、常にあらゆる存在とコミュニケーションしている状態である、その状態が本来の姿だということです。

私はキリスト教にも仏教にも詳しくはありませんが、この常にあらゆる存在とコミュニケーションしている状態そのものが心である、といっていることは、仏教の「縁起」という概念に通じるのではないかと思います。