聖書を読んでいないから

私はキリスト教徒ではないので、いわゆる聖書についての知識はまったくありません。ACIMのテキストには聖書の言葉がたくさん出て来ます。聖書を知らないので、ACIMを読むのはたいへんじゃないかなという先入観がありました。

そんな私の考えを変える1冊の本に出会いました。
ゲイリー・R・レナード氏は『神の使者』の中で、イエス・キリストが生きている間に、彼の教えを本当に理解している弟子はいなかったと著しています。弟子はわからないなりに彼らがキリストから聞いた言葉を残し、のちに編纂されたのが新約聖書であると。このことは私に強い印象を与えました。

神の使者

神の使者

『神の使者』は興味深く、楽しく読める本ですので、いつか、もっと詳しく取り上げたいと思います。2009年にレナード氏が来日されましたが、その際『神の使者』がハリウッドでドラマ化される話が進んでいると言っていました。確かにドラマの素材になりそうな展開なんです。読んでいると先が知りたくてワクワクします。

話がそれました、たとえば、ACIMの、第1章3『贖罪と奇跡』には、『天地は過ぎ去る』という聖書の言葉があります。それをキリストは、ACIMの中で、
『天地は過ぎ去る』とは、天と地が分かれた状態のままの続くのではないという意味である。私の言葉は復活でありまた命そのものであって・・・(もっと詳しくですが)と説明しています。それは、つまりイエスの命も、言葉も、永遠であるので、過ぎ去ることはない。そして、それはあなたも同じ、それが本来の姿であると。

聖書の内容は、さまざまな解釈がなされています。しかし、私と同じようにまったく聖書を学んだことなければ、その解釈の違いに惑わされることなく、無から学ぶことができるとも考えられませんか。なぜなら、キリストはあそこで言っていたのはこういう意味だよ、と真理をACIMで語っているのですから、わざわざ聖書まで戻ることはないと思います。
どうしても意味がとりにく時は、その都度、ネットで検索すればすみます。聖書ではどんなシーンで使われていた言葉なのか、一般にはどう捉えているのか、そして、ACIMの内容と比較して、どう誤解されてきたのか、などを知ることができます。

今のところ私は、聖書を読んでいないからACIMの内容がわからないとは思いません。聖書を理解されている方は、親しみがある反面、私より訂正すべき情報が多いのではないかなぁと想像しています。

聖書を読んでなくても、大丈夫。一歩一歩、前に進みましょう。