聖書を読んでいないから
私はキリスト教徒ではないので、いわゆる聖書についての知識はまったくありません。ACIMのテキストには聖書の言葉がたくさん出て来ます。聖書を知らないので、ACIMを読むのはたいへんじゃないかなという先入観がありました。
そんな私の考えを変える1冊の本に出会いました。
ゲイリー・R・レナード氏は『神の使者』の中で、イエス・キリストが生きている間に、彼の教えを本当に理解している弟子はいなかったと著しています。弟子はわからないなりに彼らがキリストから聞いた言葉を残し、のちに編纂されたのが新約聖書であると。このことは私に強い印象を与えました。
- 作者: ゲイリー・R.レナード,Gary R. Renard,吉田利子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2007/01
- メディア: 単行本
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話がそれました、たとえば、ACIMの、第1章3『贖罪と奇跡』には、『天地は過ぎ去る』という聖書の言葉があります。それをキリストは、ACIMの中で、
『天地は過ぎ去る』とは、天と地が分かれた状態のままの続くのではないという意味である。私の言葉は復活でありまた命そのものであって・・・(もっと詳しくですが)と説明しています。それは、つまりイエスの命も、言葉も、永遠であるので、過ぎ去ることはない。そして、それはあなたも同じ、それが本来の姿であると。
聖書の内容は、さまざまな解釈がなされています。しかし、私と同じようにまったく聖書を学んだことなければ、その解釈の違いに惑わされることなく、無から学ぶことができるとも考えられませんか。なぜなら、キリストはあそこで言っていたのはこういう意味だよ、と真理をACIMで語っているのですから、わざわざ聖書まで戻ることはないと思います。
どうしても意味がとりにく時は、その都度、ネットで検索すればすみます。聖書ではどんなシーンで使われていた言葉なのか、一般にはどう捉えているのか、そして、ACIMの内容と比較して、どう誤解されてきたのか、などを知ることができます。
今のところ私は、聖書を読んでいないからACIMの内容がわからないとは思いません。聖書を理解されている方は、親しみがある反面、私より訂正すべき情報が多いのではないかなぁと想像しています。
聖書を読んでなくても、大丈夫。一歩一歩、前に進みましょう。