教えることが学ぶこと、とは

ここまでブログを書いて、自分のためによかったなと思います。
ただ読んでいるだけだと、なんとなくわかった気になって前に進んでしまいます。
書くことを通して、少しでもわかってもらえるように、もう一度、内側で吟味するプロセスがプラスされるのです。その分、時間はかかりますが。

ACIMでは『教えることが学ぶこと』といいます。その『教える』は、私の場合、伝えるというほどの意味でしかありませんが、それでも、それによって自分が習っているのがよくわかります。

少し先走りますが、ACIMの『教師の手引き』の中でキリストはこう話しています。

教えるということは、ただ自分自身について信じていることを強化しているにすぎない。その根本的な目的は、自己疑念(self doubt)を少なくすること。・・・(教師の)一人ひとりが、ただただ自分は本来の自分ではないものだと、自分自身を納得させるためにのみ教えている。ここにこそ世界の目的がある。

自分の信念、強めたいと思うことを教える。

私が意図しているのは目覚めること、ONENESSへ戻ること。
この地上で、ここで完全になることを求める。

どんなささいな言葉でも、自分が信じていないことを表さないようにと、心を新たにした今日でした。